戸塚ヨットスクールについて語るスレ
- 1 :実習生さん:2006/03/01(水) 20:16:38 ID:KMkYo66k
- さあ語れ、詳しいことは>>2以降に。
- 301 :256:2006/05/06(土) 20:58:45 ID:coQHgjtO
- >>274
>仮に、彼のスクールが、人を一人も死なせず、適度な体罰で実績を
>上げていたら、256さんの戸塚への評価は変わるのですか?
>「とにかく体罰はいけない」ですか?それとも「それなら問題ない」ですか?
]とりあえず諸々の反論は差し置いて結論からいいますと、
人を死なせず適度な体罰で実績をあげていたら、私はそれを否定しません。
(実績をあげていたという仮定の話で、評価が「変わる」というのは変な話ですけど。)
私の立場としては、ほっぺたをたたく、頭をゲンコツでたたかれる程度のソフト体罰については肯定派です。
しかし、繰り返し述べるように戸塚について論じる時
「体罰肯定」vs「体罰否定」
「情緒教育に体罰有効」vs「情緒教育に体罰否定」
という枠組みで論議することは木を見て森を見てない議論ではないでしょうか。
戸塚がここまで問題視されてきたのは、根本的にはその「教育方法」によって人が死んだからです。
だからこれも繰り返しになりますけど、適切な問題提起としては
「人が死にうるほどの体罰は妥当か」
のはずです。ここで注意しなければならないのは、この論点に乗るためには「体罰肯定派」であることが前提となっている点です。
「体罰否定派」にたつと、はなから論ずる意味がない。
「体罰肯定派」にたっても、体罰と言う名の人殺しは到底認められない。
結局、戸塚と(すぐ上の論点で)論議する意味は無い。したがって戸塚と話をするだけ無駄。
>>273のように法律は普遍的なルールではない、法律までも疑ってかかるべきというのは到底受け入れられない立場です。
もともと日本法はフランス・ドイツ法のパクリですし、ここでその法を疑ってかかるということは、
親は「体罰」としての子殺しが可能になる(無罪になる)余地を考慮するということでいいのですか?
いつどこで子殺しが正当化されたことがあったのです。
母体や経済の状況を考慮し泣く泣く子供を捨てたりしたことも近代以前にはあったでしょうが、
それと同列に論じられるはすもありません。
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